大手通り
江戸時代、田原城の惣門から桜門(大手門)までの道路を「大手(追手)」と呼んでいました。これにちなんで、「大手通り」と呼ばれるようになりました。
この通りには、渡辺崋山の発案により田原藩が建設した報民倉や、明治時代に活躍した村松愛蔵の生家がありました。


- 【豆知識1】報民倉建設により、1人の餓死者も出さず天保の飢饉を乗り切った田原藩は、全国で唯一幕府から表彰されました。
- 【豆知識2】村松愛蔵家の跡地には、今も屋敷の植え込みが残存しています。
- 【豆知識3】田原中部小学校の校舎の一部は、田原市で最も古い校舎です。
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