城宝寺の豆知識2
山門の山号額は、忍海が書いたものです。
山号の額の文字を書いた忍海(にんかい)(1696‐1761)は浄土宗の僧侶で、画家としてもよく知られています。
若い頃の忍海は、絵師を目指して日々鍛錬していました。ところがある時、思いを寄せてきた女性を断ったところ、その女性は思いが募るあまりに病気となり、亡くなってしまいました。そして、忍海の枕元に夜な夜な彼女の幽霊が現れるようになったことから、愛欲がもたらす苦しみの深さを知り、ついに出家して江戸・芝の増上寺に入りました。
出家後の忍海は仏教のみならず儒教などの学問を修め、増上寺の塔頭(たっちゅう)のひとつ、宝松院の院主となっています。また、出家前の経歴もあって書道、画道ともに優れ、多くの仏画を手がけるとともに、蘭や梅の絵を得意としました。

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