田原城の豆知識

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ページ番号1008204  更新日 2021年3月24日

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当時、田原城は巴江城とも呼ばれていました。

 田原城は文明12年(1480年)頃に戸田宗光によって築かれました。

 田原城の基本的な構造は戦国時代につくられた土塁と空掘で囲んだ曲輪で構成され、本丸を中心に南西側に二の丸、南側に三の丸、北側に藤田曲輪、東に腰曲輪という配置をしています。江戸時代には、桜門、二の丸櫓を中心に石垣や水堀が最終整備され、田原城は小規模ながら近世城郭にふさわしい構造となりました。明治時代の廃城後に建物は取り壊されましたが、現在でも曲輪や石垣など、当時のまま残っている箇所もあります。田原城の石垣は桜門、袖池を中心に築かれ、現在も残っている部分もあり、特に桜門近くの三の丸下の袖池の石垣は田原城で最も古い石垣です。

 また、江戸時代前期に田原湾が新田開発されるまで、満潮時には海水が田原城の周囲を囲んでいました。その様子が「巴文」に似ていることから田原城は巴江城とも呼ばれていました。

 現在は、本丸に巴江神社、二の丸に田原市博物館、三の丸に護国神社が建っています。その他に二の丸櫓(1957年)、桜門(1992年)が復興され、城跡公園として整備されています。

 見どころの一つとして、大手道から城に向かう曲道から桜門を見ると、桜門、石垣、二の丸櫓などが立ち並んで見えます。この場所から見る景色は当時の人々に権威を感じさせていたことでしょう。

曲輪
田原城の曲輪の配置
縄張り
田原城縄張図
二の丸
田原城二の丸櫓写真 明治4年(1871)
二の丸
復興された二の丸櫓
袖池
田原城跡の袖池と石垣

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