池ノ原公園の豆知識

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ページ番号1007575  更新日 2021年3月24日

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池ノ原公園には、渡辺崋山が蟄居した家を復元した幽居邸があります。

 蛮社の獄で投獄され、在所蟄居となった渡辺崋山が晩年を過ごし自刃した屋敷跡が公園として整備されています。

 天保11年(1840年)1月20日に罪人として田原に到着した崋山は、程なくして家族とともに池ノ原で謹慎生活を送ることになりました。かつてここは、奇しくも崋山が田原に招いた農学者大蔵永常が暮らしていた屋敷でした。

 江戸の生活に慣れた崋山一家にとって、住み慣れない田原での生活は耐え難く、寂しいものであったようです。崋山が知人に宛てた手紙には、「此地は日々北西風烈(はげ)しく、竹やぶ日夜鳴りさばき…」とか「又蛇の座敷に出候(そうろう)など膽(きも)つぶれ…」などと、ここでの生活にとまどう気持ちを記しています。しかし、崋山にとっては、多忙な家老としての職を失った代わりに、自分の時間を持つことができました。大好きな絵を描くこと、家族との団欒、本を読むことなど江戸では味わえなかった充実した生活を送ることができました。

 一方、画弟子であった福田半香たちは、師匠である崋山の生活が少しでも楽になるようにと、崋山が描いた絵を売りました。このことが「罪人である崋山が身を慎まずにお金を儲けている」との噂がたち、藩に災いが及ぶのを恐れ、崋山は、天保12年(1841年)10月11日母屋から少し離れた製糖小屋で自刃しました。49歳でした。

 現在、静かな公園内には、復元された幽居邸や銅像(二代目、初代は戦時中に供出)、東郷平八郎揮毫による顕彰碑、崋山が自刃に際して残した「不忠不孝渡辺登」が刻まれた石碑、ベンチや東屋、散策路などがあります。

 併設された池ノ原会館では、落ち着いた雰囲気の中でお抹茶を楽しむことができます。

 なお、ここ池ノ原幽居跡は、渡辺崋山ゆかりの文化財として平成4年(1992年)に田原市史跡として指定されています。

 また、この公園の周辺には、当時は武家屋敷が広がっており、屋敷は残っていませんが、その風情を細く曲がりくねった道や藩士たちに好まれたとされる椿の並木で見ることができ、近くには「つばき公園」が整備されています。

池ノ原公園 
池ノ原公園
渡辺崋山銅像
渡辺崋山の銅像
幽居邸
渡辺崋山幽居邸

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電話:0531-23-3535 ファクス:0531-22-3811
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