龍泉寺の豆知識2
松尾芭蕉の句碑は、没後88年の忌日に田原の俳人たちが建立したものです。
貞享4年(1687年)、松尾芭蕉(1644-1694)は弟子の越智越人(おちえつじん)を連れ、保美村(ほびむら(現在の田原市保美町))に住んでいた坪井杜国(つぼいとこく)(?-1690)を訪問しました。杜国は名古屋城下で商家を営んでいましたが、罪を犯して追放されたため、芭蕉は彼をなぐさめたかったようです。
芭蕉が渥美半島に到着した時、季節は冬で、北西から来る冷たい風がごうごうと吹き荒れていたようです。中でも、道中の天津村(あまづむら(現在の豊橋市杉山町))から谷熊村(やぐまむら(現在の田原市谷熊町))までの約4kmは天津畷(あまづなわて)と呼ばれる水田の中のまっすぐな細道で、三河湾と旅人の間にさえぎるものがないことから、かなり寒い思いをしたようです。そのとき残した歌が、「冬の日や 馬上に氷る 影法師」です。
芭蕉は保美村で杜国と合流し、伊良湖岬を訪ねています。その後、杜国は芭蕉の旅に随行し、関西方面をともに巡りました。この時の旅の記録を芭蕉がまとめたものが『笈の小文(おいのこぶみ)』です。
芭蕉の死後、18世紀後半になると、渥美半島にも俳句を愛好する人が多くなりました。彼らは芭蕉が渥美半島を訪問したことを記念し、龍泉寺に芭蕉の句碑を建てました(ただし、句は「すくみゆくや 馬上に氷る 影法師」と芭蕉が推敲をしていた段階のものとなっています)。また同じ時期に、芭蕉が詠んだ「鷹ひとつ 見つけてうれし 伊良湖崎」の句碑が伊良湖岬近くに建てられ、こちらも現在まで残っています。

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